東京高等裁判所 昭和53年(ラ)517号 決定 1978年10月19日
抗告人(債権者)
薜清溪
右代理人
石井正春
同
蘇益民
相手方(債務者)
株式会社富士銀行
右代表者
松沢卓二
相手方(債務者)
株式会社第一勧業銀行
右代表者
西川正次郎
主文
本件抗告を棄却する。
当審における予備的申請を却下する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
一<省略>
二そこで判断するに、一件記録中の抗告人の支払禁止仮処分申請書、即時抗告及び準備書面の各記載内容を総合すると、抗告人は、相手方(債務者)が別紙小切手目録記載(一)ないし(三)の小切手三通(以下これらを合わせて「本件小切手」という。)の各振出人である点に着目して、これに対して本件仮処分申請に及んだものと解され、また、右の各書面によると、抗告人は、民事訴訟法第七六〇条に基づき、争いある権利関係について仮の地位を定める仮処分を求めるというのである。
(一) 抗告人は、右の各書面において、しばしば「抗告人は、本件小切手の正当な所持人である。」と主張しているが、抗告人は本件小切手を紛失したため本件仮処分申請に及んだというのであるから、抗告人が本件小切手を現に所持していないことは、その主張自体から明らかなところである。
(二) ところで、小切手の振出人は、小切手上の義務としては小切手の償還義務を負担するにすぎないものであり、また、小切手は、振出日附後一〇日以内に呈示することを要するところ、抗告人が本件小切手をその各振出日から一〇日以内に支払のための呈示をしなかつたことは、その主張自体から明らかであるから、抗告人は、本件小切手については、振出人である相手方らに対してもはや遡求権を行使し得なくなつたものといわなければならない。
(三) そこで、抗告人は、除権判決を得た上、本件小切手の各振出人に対し紛失小切手の再発行を請求すべく準備中であると主張するが、仮に抗告人が紛失した小切手について除権判決を得たとしても、抗告人において新たに支払呈示の上遡及権を行使するに由ないことはいうまでもなく、相手方らは、除権判決前に本件小切手上の権利を有効に取得した者に対しその支払を拒むことができない筋合であつて、抗告人はその支払を拒絶すべきことを求める権利を有するものではない。
(四) また、本件小切手は、いずれもいわゆる自己宛小切手であつて、その振出人である相手方らは、いずれも支払人としての地位をも兼ねているものであり、しかも、自己宛小切手は、実務上、呈示期間を相当程度経過した後にも支払がなされるのが通例である。そこで、自己宛小切手を紛失したような場合には、小切手発行依頼人から支払銀行に支払停止の依頼がなされることがあるが、それは、小切手発行依頼人が実質関係上支払委託者の立場にあると見られることによるものであつて、本件において、抗告人は、小切手発行依頼人ではなく、正当な所持人であつたというにすぎないのであるから、この点からしても、抗告人自身が、支払人たる相手方らに対し、本件小切手の支払を差し止めるような指示ないし依頼をなし得る立場にあるものということはできない。
更に、小切手発行依頼人の支払銀行に対する支払停止の依頼の効力について、これをどう見るかは問題であるが、その受理によつて銀行と依頼人との間に、当該小切手につき支払をしない旨の合意が成立したものと見られる場合は別として、その受理のみによつては、支払をなすか否かは全く銀行の自由であると解されるのである。したがつて、抗告人は、「振出銀行としては、自己宛小切手に対しては、善意取得者が請求してくれば、裁判所の仮処分命令がない限り、支払を拒むことはできない」旨主張しているけれども、仮に抗告人が小切手発行依頼人と同一の地位にあるとしても、裁判所の仮処分命令によつて、支払銀行と小切手発行依頼人との間に、本件小切手につき支払をしない旨の合意が成立したものと同視すべき法律関係を作出することは、仮の地位を定める仮処分制度の許容しないものであるというべきである。
(五) なお、抗告人は、本件仮処分申請事件の本案訴訟として、相手方らに対し、本件小切手の小切手金請求訴訟を提起すべく準備中であると主張するが、前記(二)で説示したように、抗告人は、既に相手方らに対し、本件小切手の小切手金について遡求権を行使することができなくなつているのである。
三そうすると、抗告人の本件仮処分申請については、その被保全権利が認められないというべきであり、抗告人の抗告の理由はすべて理由がないから、これを採用することができず、抗告人の主位的及び予備的申請は、いずれもこれを却下すべきものである。<以下、省略>
(貞家克己 長久保武 加藤一隆)
小切手目録、即時抗告状、準備書面<省略>